お腹から出てきたときは何事もなかった娘ですが、へその緒を切って、胸の上に置いてもらった瞬間に異変が起きました。出産後にNICUにお世話になった経験談をイラストエッセイでお届けします。
「時間はかかったけど無事に生まれた」……そう思っていた
そして、とても静かになりました。
そのとき感じた違和感……。
「産声を聞いてない」と思いました。それに、ふと閉じた目も力尽きたように見えたのです。
一瞬で血の気が引きました。胸の上で抱いている娘が、息をしていないのです。
とっさにミッドワイフさんの名前を呼びました!
ミッドワイフのリサさんは、壁にあった緊急用のボタンを押しました(押すまで、そんなボタンがあったことには気づきませんでした)。
それから本当にすぐ、医療班が分娩室に駆け込んできました。
私の胸の上から、緊急医療用のベッドに運ばれていった娘。
そのときには、もうすでに肌の色が暗い紫色になり、力が入っていない体は、まるでゴム人形のように手足がダランとなっていました。今でも思い出すと震えるほど本当に怖かったです。
この後どうなってしまうのか、医療用ベッドで何が行われているのか、それを確かめたかったものの、会陰縫合の必要もあり、無痛分娩の後で歩くこともできず。離れたベッドから少しだけ見える娘の小さな体に、ただただ祈るしかありませんでした。
蘇生措置をした娘、私の産後の処置の方も終わって、医療班もミッドワイフさんも、分娩室から出ていきました。静かになった部屋で、取り残された夫と私。
赤ちゃんは大丈夫なのか、それだけが気がかりでした。このときは、まだ赤ちゃんが助かるのか分からない状況で、恐怖の中で待ちました。
それから……
4時間後、看護婦さんが来て、赤ちゃんが命を取り留めたこと、自分で息をできるようになったことを伝えに来てくれました。
そして、しばらくして落ち着いてから、NICUへ面会の許可がでました。
小さい体には、たくさんの装置やチューブがつけられ、頭・体にはクーリングブランケットと呼ばれる体を冷やすものを巻かれて、声も出さずにそっと寝ていました。
クーリングブランケットというのは、新生児医療に非常に有効だということ、10~15分ほど息をしていなかった娘の脳への障害を最小限にすることにも効果があると説明を受けました。
息が止まった理由は、分からないとのこと。ですが、最初に生まれたときには、ちゃんと目を開けたため、新生児仮死状態でなく、へその緒を切ったことで、酸素が行き渡らなくなり、息が止まってしまったのではないかと判断されました。
ときどき、寒さに震えるようなしぐさを見せる娘。娘の姿を見て涙する私たちに、NICUのスタッフの皆さんは温かい言葉をかけてくださいました。
「NICUでは赤ちゃんのケアはもちろんですが、ご家族の心のケアも仕事の一つです。心配があれば、いつでも相談してくださいね」。
面会を終えて、夫は帰宅、入院用の病室へ戻った私。
母親の私だけ先に退院。娘はNICUに入院して通うことに
赤ちゃんをお迎えするために用意した子ども部屋が、とっても寂しく感じました。生まれたのに、ここにはいない、今後どうなるかはまだわからない、障害が残るかもしれないー。いろいろな不安のなか、とにかく祈って待つことしかできない無力さがありました。
しかし、ありがたいことに……
クーリングブランケットの治療は、成功。その後、数日で無事に娘はNICUから退院することができました。出産後やっと、ちゃんと抱っこできたときの感動はひとしおでした。
それから数年ー。