2016年08月17日 公開

時代を開く教育の鍵かも!?リベラルアーツについて考えてみよう

日本の大学には専門課程の前に教養課程があります。でも大学が万人受けするような教養人を育成すればよしとされた時代は過去の話。これからの時代、社会人には知識ではなく思考力が求められます。そんな時代の要請である学問「リベラルアーツ」について考えてみましょう。

日本の大学には専門課程の前に教養課程があります。でも大学が万人受けするような教養人を育成すればよしとされた時代は過去の話。これからの時代、社会人には知識ではなく思考力が求められます。そんな時代の要請である学問「リベラルアーツ」について考えてみましょう。

「奴隷の身から自由になるための学問」が起源

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リベラルアーツには「リベラル=自由」という言葉が含まれています。古代ギリシャ・ローマ時代に、「奴隷を人間へ解放する(自由にする)学問」として生まれたのがリベラルアーツの起源です。

「文法」「修辞学」「論理学」「算数」「幾何」「天文」「音楽」という7つの科目を基本とし、いまでも西欧の大学ではこれらの科目をベースにしたリベラルアーツ教育が重視されています。

ハーバード大学のような総合大学でも入学後2年間はリベラルアーツを学びますし、4年間すべてリベラルアーツを学んで専門科目は大学院で、というリベラルアーツカレッジも多数あります。

「教養課程」と「リベラルアーツ」の決定的な違い

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日本の大学の教養課程では、人文・社会・自然科学という大まかな分類のもとで履修科目が決められ、各科目の講義では教授が学生に対してもっぱら「学問的知識」を提供すれば足りるとされています。

他方、たとえばアメリカの大学などで実践されているリベラルアーツ教育では、「知識」を伝えることはメインではなく科目の根底に流れる思考方法を習得することを重視します。思考法を身につけてしまえば、専門知識の習得は高学年になってからでも間に合いますし、卒業後でも自学自習が可能となるからです。

「専攻を入学時に決める」というシステムの問題

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リべラルアーツ教育の大きな特徴は、大学入学時に専攻を決めないこと。

日本の場合、受験時に専攻学科を決めますが、リベラルアーツを採用する欧米の大学では、2年間の教養課程のあいだに自分の関心・適性を見きわめたうえで専攻を決めます。

専攻科目の決定には広い視野が必要です。でも高校3年生は学問的にはまだ子どもです。自分の関心や資質を客観的に観察できるかというと正直言って難しいでしょう。これは日本の教育制度そのものの問題で、今後の課題のひとつとされています。

企業はなぜリベラルアーツ教育を高く評価するのか

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人間が社会や組織のなかでコミュニケーションをうまくとるためには、「共通言語」として論理力、語学力、表現力、思考力、洞察力などが必要です。伝統的なリベラルアーツの科目が「教養」として広まった背景には、そういった共通言語としての力を身につけるのに適した科目であったからです。

企業は人間の集団ですので、コミュニケーションなしでは成り立ちません。リベラルアーツの素養をしっかり身につけている学生を企業が高く評価するのは、きわめて自然なことだといえます。

日本でリベラルアーツを学ぶには

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日本で本格的にリベラルアーツ教育を導入したのは、早稲田大学国際教養学部だといわれています。すべての講義を英語で行い、学年があがるにつれて科目の幅をしぼり、レベルも高くなるという教育システムは、欧米での伝統的なリベラルアーツに近いものがあります。

一方、新しい形のリベラルアーツも登場しています。幅広く教養を学びながら徐々に専攻を絞っていくのではなく、はじめから一つの専攻を決めたうえで、文系理系の区別をせず多角的に研究していく手法です。
たとえば関西大学社会安全学部では、「社会の安全・安心」をテーマにすえて、法学、政治学、経済学、心理学、社会学など、多様な分野の成果を総合的に学びながら「安全・安心な社会をデザインできる人材」を育成していきます。

自学自習でもリベラルアーツは学べる!?

日本では欧米のようなスタンスでリベラルアーツを採用している大学は数えるほどしかありません。ただ、知識の獲得ではなく、その科目の根底にある思考法を習得するよう意識しながらテキストを読みこめば、大学に行かなくても初歩的なリベラルアーツを体得することは可能です。

これから入学を控える子どもたちも、すでに社会人となり学問への情熱を忘れた大人たちも、リベラルアーツの価値を見つめなおしてはいかがでしょうか。

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この記事のライター