2017年04月29日 公開

GWは「上野の森親子フェスタ2017」特集~伊谷先生にインタビュー!

GWの5月3日~5日は、東京・上野で「上野の森親子フェスタ2017」が開催されます。約5万冊の絵本、図鑑、児童書が即売されるほか、親子で楽しめるさまざまなイベントも目白押し。そのなかのひとつで、5月5日、東京都美術館講堂で行われる講演「サルを知ることはヒトを知ること!」に登場される、京都大学野生動物研究センター教授の伊谷原一先生にインタビューさせていただきました。

GWの5月3日~5日は、東京・上野で「上野の森親子フェスタ2017」が開催されます。約5万冊の絵本、図鑑、児童書が即売されるほか、親子で楽しめるさまざまなイベントも目白押し。そのなかのひとつで、5月5日、東京都美術館講堂で行われる講演「サルを知ることはヒトを知ること!」に登場される、京都大学野生動物研究センター教授の伊谷原一先生にインタビューさせていただきました。

野生児・伊谷少年は外の世界が大好きだった!?

「伊谷先生こんにちは!」「はい、こんにちは」©伊谷原一

「伊谷先生こんにちは!」「はい、こんにちは」©伊谷原一

Q:一言でいうとどんなお子さんでしたか。

伊谷先生:外で駆け回るのが大好きな子どもでした。5歳までは、日本モンキーセンターがある愛知県・犬山市に住んでいました。そのころの犬山市は林や野原だらけでしたから、そのなかを駆け巡っていましたね。

ほら、お母さんに叱られるときによく「いうこときかないんだったら、外に出なさい!もう帰ってこなくていいわよ!」とか言われるでしょう?ぼくはそう言われたら「やったー!」って、喜んでそのままずっと夜まで出て行っちゃうタイプの子どもでした。

From "Voyages of Dr. Dolitt...

From "Voyages of Dr. Dolittle" (1922)

Q:そんな野生児の伊谷少年ですが、本も大好きだったそうですね。

伊谷先生:そうですね。やっぱり動物がでてくる話が好きで、よく夜寝る前に読んでいました。「ドリトル先生シリーズ」や「シートン動物記」「ファーブル昆虫記」、もちろん、手塚治虫さんの「ジャングル大帝」も大好きだったなあ。

野生児・伊谷少年、京都でまたもや外に出た!?

高崎山のサル (講談社学術文庫) | 伊谷 純一郎 |本 | 通販 | Amazon (50910)

名著『高崎山のサル』はお父様が学部生のときの卒業論文でもありました。
タイトル:高崎山のサル(講談社学術文庫)
著者:伊谷純一郎
出版社:講談社
Q:幼稚園時代からは、ご一家で京都に移られましたが、お父様の伊谷純一郎先生は、霊長類の研究でよくアフリカに行かれていた頃ですよね。お父様がどんな研究をされていたのかはご存知でしたか。

伊谷先生:ほとんどわかりませんでした。父の著作物を読んだのは、もう少し大きくなってからでしたから。よくアフリカに行っていて、あまり家にいない人なんだと思っていました。

Q:高校でのエピソードは何かございますか。

伊谷先生:高校生のときですか?どうしても家から出たくなって、下宿を借りてバイトしながら高校に通いました。

Q:また外にでてしまったんですね…

伊谷先生:はい。喫茶店の店員やラーメン屋台をひっぱったり、と、いろいろなバイトをやりましたね。そして大学はうんと遠くの北海道へ(笑)。

伊谷青年、アフリカを目指す!

アフリカに通いだした学生時代(1986年)©伊谷原一

アフリカに通いだした学生時代(1986年)©伊谷原一

Q:大学では何を研究されていたのですか。

伊谷先生:しばらくはアルバイトに明け暮れていました。3回生になって研究室に所属してからは昆虫の細胞に関する研究をはじめました。毎日、顕微鏡をのぞいている生活でしたが、幼い頃からどうしてもアフリカに行きたかった。

そこで、アフリカでボノボの研究をされていた加納隆至先生がいらっしゃる沖縄へ行き、ぼくをアフリカに連れていってください、とお願いしたところ、「まずはどこかに行って何かをしてきなさい。」と言われ、沖縄の漁師の生活を研究しました。

そうこうするうちに自分が半分漁師になってしまって……加納先生に「何をやってるんだ」とあきれられて、ついにアフリカに連れていってもらいました。

Q:北海道から沖縄へ行かれて、次はアフリカ!加納先生はお父様のお弟子さんでしたが、アフリカに行かれることはお父様にはご相談しましたか。

伊谷先生:自分の口から言いませんでしたが、父と加納先生との間でそういう話しになっていたと思います。とにかくアフリカに連れて行ってもらってうれしくてたまらなかったんですが、フィールドへの経由地の町に着くなり加納先生が自転車を買ってくださって「ひとりで調査してきなさい」と。

伊谷青年、ジャングルを駆け巡る!

Q:加納先生はどこへ?

伊谷先生:先生はフィールド近くの町に残り、ぼくには自転車だけくださった(笑)。それからは、食事や寝泊まりするところなど、現地の人たちとの交渉を片言の現地語でひとりでやりました。

その後、加納先生と合流し、ボノボのフィールドに行きついたときには、すでに1か月が過ぎていました。

Q:これはお父様の研究室(京都大学理学研究科)に伝わる伝統だそうですね。

伊谷先生:はい。「子捨て主義」といって、指導教授が学生を現地に置いてきぼりにしていくんです。置いていかれた学生は、なんでも自力でやっていかなければならない。それはフィールドワーカーとしてのセンスを研き、「自分だけの研究テーマを探し出す」ための力をつけることにもなります。

森の達人たちに囲まれて ©伊谷原一

森の達人たちに囲まれて ©伊谷原一

Q:伊谷先生は、そこでボノボのユニークな行動を発見された。

伊谷先生:今と違って、自分がアフリカに行ったときは、フィールドで半年~1年続けて観察することができたので、ぼくはその間ひたすらボノボの集団を追い続けました。

そこで発見したのは、メスが適齢期に自分の生まれ育った集団を出て、ほかの集団に移り、新しい集団に溶け込んでいく過程です。そうした社会構造がインセント・タブー(近親相姦の回避)につながり、彼ら自身の社会を守ることになっていたんです。ヒトの場合はルールや道徳で規制されていますが、ボノボでは社会のシステムがそうなっていたんですね。

Q:ボノボは「最後の類人猿」と呼ばれるくらい、その研究が遅く始まったそうですね。

伊谷先生:ボノボはもともとチンパンジーの一種、くらいに思われていたのですが、ボノボという別の種として認められたのは1900年代に入ってからです。それまでは、彼らの住みかコンゴ民主共和国(当時はザイール共和国)の熱帯雨林の奥深くでアプローチが難しく、動乱も続いていたため調査ができない状態でした。

政情がようやく落ち着きはじめた1972年に、加納先生が初めて予備調査に着手し、私は1984年からその調査に参加しました。長期継続調査のおかげで私はメスの移籍過程や、他種では見られない集団間関係を発見することができたのです。

Chiik!世代のお父さん&お母さんに一言!

Q:伊谷先生から、Chiik!世代のお父さん&お母さんに何か一言お願いします。

伊谷先生:ボノボのお母さんはいつも自分の「コドモ」の側にいます。移動するときもお腹に抱くか、背中に乗せてコドモを運びますし、コドモの動きを常に気にしています。

ボノボのメスの出産間隔は3~4年ですから、次のコドモが生まれるまではそういった母子関係が続きます。幼い頃にお母さんの心音を聞き、臭いを嗅ぎ、温もりを感じ、お母さんの行動を間近で見ることがコドモの成長には欠かせないのです。

そして、ある年齢に達したらコドモは独り立ちし、メスは他の集団に移籍します。オスは母親と同じ集団でずっと一緒に暮らしますが、母親がコドモに何かを教えることはしません。つまり、コドモは自分の経験と学習、そして試行錯誤を繰り返して社会生活を送るのです。

ともすると、人間の親は子どもが成長しても過保護になりすぎるきらいがあります。放っておいても子どもは勝手に育ちます。成長した子どもに親ができることは「黙って見守ること」、つまり、子どもの成長をじゃましないことだと思います。

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もっとお話を伺いたいのですが、この続きは5月5日上野の森親子フェスタの講演会でよろしくお願いいたします!

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