アジアで子育てしたというと、たいていの日本人から「大変でしょ?」と驚かれます。もちろん日本よりも不便な部分はありますが、気持ち的には楽な部分もかなりありました。そんな体験を踏まえ、ネパールを中心に南アジア〜東南アジアの子育て事情についてお話します。
子どもが大好きでオープンなアジアの人々
紙おむつや瓶入りの離乳食、機能的なベビー服は確かに手に入りにくいです。子ども服や子どものおもちゃの安全性が考えられていなかったり、ベビーカーを押して歩けるような道ではなかったりもします。
けれども、その一方で、子どもに対してとても寛容です。
公共の場に子連れで行くのは迷惑というような風潮はアジアではほとんどありません。むしろ、子どもはたいていの場所で人気者。買い物に行く先々で店員さんに声をかけられ、レストランに食事に行けば、親が食べている間、小さい子を抱っこしてあやしてくれたり。
基本的にアジアは、フレンドリーな上に、子ども好きな人が多く、子連れで出かけることにも神経質にならなくてすむ環境にあります。
子どもは、元気に騒ぐのがアジアでは当たり前
それに引き換えアジアときたら、子どもが大騒ぎしていても全く平気。なぜなら、親や大人も子ども以上にうるさいこともあるからです。
「子どもが静かな方がおかしいでしょ。私たちだって、大騒ぎして大きくなったんだしね」。現地のママ友はさらりとこう言いました。
子どもは、元気で騒ぐのが当たり前。そう言われるとそうなのですが、今の日本の社会はストレスが多く、みんなすごく疲れていて、だから、ちょっと神経質になっているのかもしれません。誰でも、子ども時代には泣いたり、騒いだり、やんちゃしたり、駄々をこねたりして大きくなっているもの。アジアの寛容さは、少し見習うところもあるかもしれませんね。
子どもは、ママだけじゃなく、みんなで育ててる
基本的に大家族が多く、家族以外の親戚も周りには常にたくさんいて、隣近所もプライバシーという言葉がないかのようにズンズンと入り込んできて、家事や子育てのヘルプを当たり前のようにしてくれます。
ママが炊事をしていれば、必ず誰かが子どもの相手をしてくれるし、昼間、隣近所のママと井戸端会議をしていれば、子どもは子ども同士で遊んでくれます。そうやって、地域社会の中で子どもは大きくなっていきます。
はたから見て感じるのは、地域社会にとって、子どもは愛すべきものであり、希望であり、娯楽でもあるということ。子どもの持っているエネルギーや笑顔が、大人たちやその地域社会に元気をもたらしてくれています。
プライバシーのないストレスはあったけれども、今思えば、ほんとうに気楽に楽しく子育てができたなと思います。
子どもはいろんな人に接しながら、社会の一員になる
ご近所づきあいや、親戚づきあいの機会が急激に減りつつある日本では、子どもの世界は昔よりもずっと狭くなっているようです。親と、先生以外の大人と接したことがないため、大人や年上の人とどう接していいのかわからない、何を話していいのかわからない。
アジアの子どもたちと比べてしまうと、日本の子どもたちは、お行儀はいいのですが、おとなしすぎるように思えてしまいます。
日本だって、ちょっと前は同じだった……!?
でも、ほんの50年前までは、日本だって、これまで述べてきた状況と同じでした。
大家族制が当たり前で、お肉のおかずは兄弟と取り合いっこして、悪いことしたら近所の口うるさいおじさんに怒られて、それが普通の風景でした。
それを取り戻せるとは思いませんが、忙しい日々の中でも、親が意識して、積極的に外との交流を増やしていくことはできるのではないでしょうか。たとえば、校外の野球やサッカーのクラブチームに入れてみたり、地域のお祭りや球技大会などの行事に参加したり、ご近所さんとバーベキューやキャンプなどを企画したり。
アジアで子育てして思うのは、日本の生活水準や教育水準はとても高く、恵まれているということ。ただ、いろんな人の中で揉まれるという経験は、不足しがちです。地域社会みんなでオープンに子育て、というのは難しいかもしれませんが、少しでも日本の子どもたちの世界が広がったらいいなと思うのです。